寸止め

「寸止め(すんどめ)」という言葉がある。広辞苑には載っていない。
たぶん元は空手の専門用語だったんだろうけど、攻撃を相手に当てる寸前で止めることだ。


この言葉を聞くと今でも思い出すのが、小学校2年か3年の頃の学童クラブでの出来事。
僕はリー・シンという子が好きだった。
手足はすらっとして背が高く、日本人離れした顔で、おでこが広い・色黒の子だった。
たぶんその名前と顔と小6のときアメリカへ転校してしまったことから、アメリカ人と日本人とのハーフだった気がするが、当時はそんなことどうでもよかった。
性欲を含まない想いも(性欲を含まない想いこそ)恋と呼ぶなら、それは恋であった。
それも一方的な想いではなく、相思相愛の・完成した恋であった。
自分で云うと問題が生じるが、確かに2人は愛し合っていた。
けどその頃の僕らに「付き合う」という概念はないから、お互いの想いを告白することはしない。
デートもしない。チュウもしない。
たしかクラスは違った。放課後の学童クラブというシステムの中でめいっぱい愛し合うのだ。
それは完成した恋であった。


彼女はずいぶん男気に富んだ性格だった。僕はいつもからかわれていた記憶がある。
僕はそのころから、うわべだけ男気を演じ、それを見透かしてしまう人とは付き合えない・根はなよなよとした少年だった。
彼女もそれを見透かしていた。いや、彼女の場合、理解していた。それを僕と共有していた。(我ながら自分の恋愛美化に吐き気を覚える。だが、やむを得ない。過去は美化するためにある)


ある日の学童クラブで、突然(なにか脈絡があったかもしれないが、覚えていない。記憶の中では、突然)彼女は僕に「寸止め」パンチをくらわしてきた。
「すんどめー、すんどめー」と云ってパンチしてくる。
それらをふにゃふにゃ受け流しながら、「なんだよ、すんどめって」と僕は訊く。
彼女はいじわるして答えない。「すんどめしらないのー。すんどめだよ、ほらすんどめ」
先生に訊いたら教えてくれた。「空手とかで攻撃をギリギリで止めるやつじゃないの」
納得した僕は、それから……


     *


それからの記憶が僕にはない
滅びるものは美しく、貫通するもの痛快だ
先生はそう云わないけど
云わないことで教わった
好きだと云えばキスするし
抜き差しすればきもちいし
真夜中の赤信号が意味するところなんか真剣に考え抜いた朝にゃ、「宇宙だけだよそこは宇宙だけだよ」
信じない。信じないでくれ、理解理解
もう云わない。云わないでくれ、繋がるつdなgふぁgかう
誰か、おもいっきり俺を殴ってくれ
誰か、おもいっきり寸前で止めてくれ
誰か、誰か、誰か、誰か、